ワープ犬

萩さん(仮名)は雑種の中型犬を飼っている。2歳の雄で、名前はコタロー。散歩が好きで好奇心旺盛で人懐っこい。知らない人でもすぐにシッポを振って近寄っていってしまう。可愛いが、およそ番犬には向かない、そんな犬である。

ある日、そのコタローと散歩中の事だった。コースはいつもの河原の土手沿い。季節は秋で、時間は休日のお昼すぎだったという。

土手の上の道路をコタローと歩いていると、いきなりコタローが足を止めて顔を下の河原に向けた。

「どうしたの?」

荻さんが声をかけても、コタローはじっと河原の方から視線を外さない。

その先を荻さんも追って見ると……群生しているススキの一部が、ザワザワと揺れていた。

風ではない、明らかにそこに何かがいますよ、という具合の揺れ方だ。ただ「何が」なのかはススキの茂みに隠れて見えなかった。

そしてそのザワザワが、ゆっくりと移動している。

「なに、あれ……?」

背の高いススキとはいえ、人ならば立って移動すれば頭くらいは見えるだろう。なら動物だろうか?

正体は不明。だからといって、もちろん萩さんは近づく気なんてない。

が、コタローは違った。

ワン! と一声吠えると、いきなり河原へと駆け出してしまう。

「あっ!」

突然強く引っ張られた荻さんはバランスを崩して倒れそうになり、思わず持っていたリードを離してしまった。自由になったコタローは放たれた矢みたいな勢いでまっすぐに河原へと駆け下りていく。

程なくして、ザワザワと動くススキが2箇所に増えた。片方はともかく、増えたもう一つは言うまでもなくコタローである。逃げる謎の存在を、コタローが追いかけているようだ。

「やだ! ちょっとー!!」

さすがに放置するわけにも行かず、慌てて荻さんも土手を駆け下りた。

ススキを掻き分けながらコタローの名を呼ぶと……思いのほか遠くから吠え声が聞こえてくる。

え? でもこの方向って……?

声の主は、思わぬ所にいた。

ススキの間から見える川向う、つまり川を挟んだ向こう側の河原に、見慣れた愛犬の姿があったのだ。

「うそー!!」

川の幅はどう見ても10メートルは下らない。一番近い橋はここから100メートルは離れているし、泳いで渡ったにしてもこんなに速いはずがない。自分もすぐに追いかけてきたのだから。じゃあ向こう側に見える犬は別の犬? でもあの色といい大きさといい、どうみてもコタローで……

首を捻りつつ、荻さんは橋を渡り、対面の河原に走った。

そこで待っていたのは……間違いなくコタローだ。川を泳いだわけでもないようで、まったく濡れていなかった。

「おまえ、どうやってこっちに来たの?」

走ったせいで息切れしつつそう尋ねたが、嬉しそうにこっちの顔を舐めてくるコタローからは、もちろんこたえが返ってくる事はなかった。

ちなみにコタローが追いかけた「何か」も、結局正体不明のままである。